2012年の球春が明けました。みなさんおめでとうございます。
例年なら「やっと長いオフが終わった」という心境になるものだけど、2011-12のオフは、なんだかあっという間だった。単純な理由としては、開幕が遅れたためにオフの日数が少なかったということがある。それに加えて、日数が少ない割に「人の出入り」が例年になく激しかったことも、「もうキャンプインなのか」という印象を抱く一因かもしれない。パの優勝チームからローテーション投手3人と1番打者が抜け、セの優勝チームから指揮官と大半のコーチがいなくなった。セの最下位チームの親会社が変わり、そして日本一の投手がアメリカへ旅立った。NPBの歴史でも、こういうオフシーズンは珍しいのではないか。
さて、2012年。要約すればこういうことになる。
落合とダルビッシュのいないプロ野球が始まる。
厳密に「何年から」と定義することは難しいけれど、ゼロ年代後半から2011年までのプロ野球の「軸」は、監督としての落合であり、選手としてのダルビッシュであったと思う。なぜ「軸」だったかというと、ともに、前例のないスタイルを野球界に導入して、なおかつ結果を出し続けたからだ。つまり、歴史に残る仕事をしたからである。後から球史を振り返ったとき、この時期のプロ野球は「落合が采配をふるい、ダルビッシュが投げていた時代」と総括されるだろう。60年代後半~70年代前半が「川上が采配をふるい、ONが打ちまくっていた時代」、90年代が「野村ID野球とイチローの時代」であるように。
2つの「軸」がいなくなった2012年シーズンは、新しい「軸」を探すための、リスタートのシーズンになる。それは、落合みたいな監督や、ダルビッシュみたいな投手を待望するという意味ではない。全然違うスタイルで一向に構わないし、むしろそのほうが望ましい。今まで見たことのないようなスタイルで結果を出し続ける存在、要するに「画期的な野球人」が新たに出現するための第一歩のシーズンということだ。
NPB76年の歴史は、ある「軸」が消えたら次の「軸」が現れ……という歴史の積み重ねだ。だからこの先も、新しい「軸」はきっと生まれてくると思う。それがプロ野球の底力である。「軸」になるチャンスは、どの監督にも、どの選手にも、どのチームにも平等に用意されている。ここからが、また新しいスタートだ。そう考えれば、これほど楽しみなシーズンもないではないか。野球ファンは、ただ前を向くのみである。
(オースギ)