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2012年02月 アーカイブ

2012年02月02日

リスタート

2012年の球春が明けました。みなさんおめでとうございます。

例年なら「やっと長いオフが終わった」という心境になるものだけど、2011-12のオフは、なんだかあっという間だった。単純な理由としては、開幕が遅れたためにオフの日数が少なかったということがある。それに加えて、日数が少ない割に「人の出入り」が例年になく激しかったことも、「もうキャンプインなのか」という印象を抱く一因かもしれない。パの優勝チームからローテーション投手3人と1番打者が抜け、セの優勝チームから指揮官と大半のコーチがいなくなった。セの最下位チームの親会社が変わり、そして日本一の投手がアメリカへ旅立った。NPBの歴史でも、こういうオフシーズンは珍しいのではないか。

さて、2012年。要約すればこういうことになる。

落合とダルビッシュのいないプロ野球が始まる。

厳密に「何年から」と定義することは難しいけれど、ゼロ年代後半から2011年までのプロ野球の「軸」は、監督としての落合であり、選手としてのダルビッシュであったと思う。なぜ「軸」だったかというと、ともに、前例のないスタイルを野球界に導入して、なおかつ結果を出し続けたからだ。つまり、歴史に残る仕事をしたからである。後から球史を振り返ったとき、この時期のプロ野球は「落合が采配をふるい、ダルビッシュが投げていた時代」と総括されるだろう。60年代後半~70年代前半が「川上が采配をふるい、ONが打ちまくっていた時代」、90年代が「野村ID野球とイチローの時代」であるように。

2つの「軸」がいなくなった2012年シーズンは、新しい「軸」を探すための、リスタートのシーズンになる。それは、落合みたいな監督や、ダルビッシュみたいな投手を待望するという意味ではない。全然違うスタイルで一向に構わないし、むしろそのほうが望ましい。今まで見たことのないようなスタイルで結果を出し続ける存在、要するに「画期的な野球人」が新たに出現するための第一歩のシーズンということだ。

NPB76年の歴史は、ある「軸」が消えたら次の「軸」が現れ……という歴史の積み重ねだ。だからこの先も、新しい「軸」はきっと生まれてくると思う。それがプロ野球の底力である。「軸」になるチャンスは、どの監督にも、どの選手にも、どのチームにも平等に用意されている。ここからが、また新しいスタートだ。そう考えれば、これほど楽しみなシーズンもないではないか。野球ファンは、ただ前を向くのみである。

(オースギ)

2012年02月25日

大下と大嶋

福岡のRKB毎日から幾多の傑作ドキュメンタリーを送り出した異能のテレビディレクター、木村栄文のレトロスペクティブ上映が行われている。そのうちの一本である『桜吹雪のホームラン~証言・天才打者大下弘』を鑑賞した。

冒頭に映る球場は、平和台ではない。雪に覆われた札幌円山球場だ。その謎は、すぐに明かされる。札幌で行われた東急フライヤーズ×大映スターズ戦で大下が打った特大場外ホームランの落下地点を目指して、初老の男たちが歩くのだ。その先頭にいるのは、ホームランを打たれた大映の投手、野口正明である。以降、夫人、チームメイト、対戦相手、ファン、大下が主宰していた少年野球チームの選手たちなどの証言を主軸に、当時の試合映像をふんだんに織り込みながら大下の足跡が綴られる。制作年は、大下の没後10年にあたる1989年。上映時間は81分。

全体を支配するのは、なんともいえない野球的幸福感である。映像の中の大下は、いつも満ち足りた笑顔を浮かべている。グラウンドでも、少年野球の選手に囲まれたときも、そして夜の街でも。また、大下の思い出を語る証言者たちの顔も、みんな幸福な表情なのである。近鉄投手時代に対戦した思い出を語る関根潤三氏。公園の鉄棒?に寄りかかりながら大下の魅力の真髄を喝破する千葉茂氏。引退試合で大下が打ったファウルボールを2回キャッチしたファンの顔と語りは、世代と時空を超えて野球バカのハートをわしづかみにする素晴らしさだ。そして、「こういうのが木村栄文流か」と思わせるのが、川上哲治に対する露骨に悪意ある編集(笑)である。これは見てのお楽しみ。

昭和野球マニアにとっては、当時の試合映像だけでもたまらない。大下とは直接関係ないけれど、昭和31年の日本シリーズで中西太がホームにド迫力のスライディングで生還するシーンをバックネット裏のカメラからとらえた映像だけでも見る価値がある。

やがて西鉄の黄金期は終わり、名将・三原脩が福岡を去るのとほぼ同時期に、大下弘も現役生活を終える。決して幸福とはいえなかったであろう晩年~引退後の境遇が、そして、大下の笑顔の背景にあったと思われる「複雑」な事情が、過度に感傷的になることなく、淡々と描かれていく。そして終盤、思わぬ形で「西鉄ライオンズの歌」が登場するのである(私はここで泣きました)。

大下が、現役時代から地元の少年たちを集めて野球チームを主宰していたエピソードは、ずいぶん前に読んだ『大下弘 虹の生涯』(辺見じゅん)で知ってはいたが、あらためて映像で見ると、それはまさに、この国に生まれた極上の野球的ファンタジーであったと思わざるをえない。現在でも、少年野球に積極的に関わる選手は何人もいるだろう。例えば、イチローは毎年、オフに自ら主宰する少年野球大会を地元の愛知で開催しているはずだ。しかし大下の少年野球エピソードは「次元が違う」のだ。それは、「大下さんが試合へ行くときに、みんなで後ろからゾロゾロついていった」「ああいうときの費用(観戦料)はどうしてたんだろう。きっと大下さんが払っていたのかな」という証言に集約されていると思う。今の選手だって、自分の名前を冠したシートを買い上げて野球少年たちを招待したりはしているけれど、「招待する」というのと、「自分の後ろをゾロゾロついてきた少年たちに、自腹を切って野球を見せてやる」というのはまったく別の話ではないだろうか。それはあの時代だからできたことであっただろうし、もっといえば、大下弘だからできたことなのだと思う。だからこそ、ファンタジーなのである。

最後に、本コラムのタイトルの種明かしを。大下の流麗な打撃フォームの最大の特徴は、フォロースルーの形にあると思う。最後まで両手でしっかりとバットを握っていて、なおかつ、トップが空のほうを向いている独特の形。ダウンスイング、レベルスイングの「近代野球」では、ほとんど見られなくなった形である。だが待てよ、最近、大下みたいなフォロースルーを見た気がするぞ。少し考えて、答えが出た。それは、ファイターズの「ソフトボールルーキー」大嶋匠のフォロースルーだった。大下がプロ野球人生をスタートさせた球団の系譜に連なるチームに、大下の「異端児のDNA」がひそかに継承されている。そう考えると、画面の中のセピア色の20世紀野球と、目の前にある21世紀野球が、確かにつながっていると思えてくるのだった。

【追記】『大下弘 虹の生涯』では、大下の「死因」をはっきりと記している。手元にある同書の初版は1992年で、『桜吹雪のホームラン』放送の3年後である。木村栄文が存命なら(2011年3月に逝去)、そのことについて聞いてみたかった。

(オースギ)

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