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2011年09月 アーカイブ

2011年09月11日

10年前のアトランタ

2001年9月9日。私はシアトルにいた。メジャー1年目のイチローを見た。確か、その試合でホームランを打った。そこまでは「仕事」だった。
2001年9月10日。そこでおとなしく帰国すればよさそうなものだが、私はその日から「夏休み」をとって、米国東部へ向かったのだった。ユナイテッド便、デンバー経由でアトランタへ。なぜアトランタ? 理由は簡単だ。私は1991年以来、アトランタ・ブレーブスのファンだからである。せっかく北米大陸へ来たのだから、ついでにブレーブスの試合を見ておきたい。なぜかフライトが遅れ、デンバー空港で3時間くらい待たされて、アトランタには夜の深い時間に着いた。とはいえ、特に不安はなかった。既にアトランタには3回くらい訪れていたからだ(もちろんブレーブス目当て)。勝手知ったるホテルにチェックインして、あっという間に眠った。

2001年9月11日。アメリカ滞在時の朝は早い。単に時差ボケだから。確か7時半頃に起き、シャワーを浴びて、特にすることもないので、いつものようにダウンタウンのCNNセンターまで散歩して、そこのフードコートで朝飯を食うつもりだった。今振り返ってみれば、米国南部のキツい日差しを浴びながらのんびり散歩している途中に「あれ」は起こっていたのだ。CNNセンターに着き、中へ入ろうとすると入口に鍵がかかっている。デカい図体の警備員がやってきて「NO!」と叫ぶ。おかしいな、いつもこの時間なら空いてるはずなのに。今日は休業なのか。釈然としないが、仕方ないのでホテルに戻ることにする。近くのモニターを3~4人くらいが見上げている光景が目の端に入ったが気に留めず、再びのんびり散歩してホテルに戻った。部屋に入ると、電話の赤いランプが点滅している。日本からかけてきた、複数のメッセージだった。それを聞き、慌ててテレビを点けた。どのチャンネルも──ESPNでさえも、ツインタワーの映像だった。茫然自失。

恥ずかしい話だけれど、当時の私は日本と通話できる携帯も持っておらず、PCも持参していなかった。当然ながら、スマホもなければツイッターもなかった。まずしたことは、テレホンカードを買うことだ。部屋の電話でも通話はできるけれど、とんでもない料金を取られる。情報収集、帰国便の確保、そして何よりも、心細さの解消。私はホテルのロビー片隅にある公衆電話に、カード片手に「籠城」した。生涯で、あれほど電話をかけまくった時期はないかもしれない。今でも「ラプソディ・イン・ブルー」の旋律が流れてくると嫌な気分になる。フライトの状況を尋ねるためにかけ続けていた、ユナイテッドの着メロだったからだ。何度かけても延々とそのメロディが流れるだけで、一向にオペレーターが出てくれない。そのときの絶望的な気持ちを思い出すからだ。

3・11の後、日本にいる外国人が続々と出国するという報が流れた。私には、その気持ちがよく分かる。それは、9・11の体験があるからだ。そんなもの、一刻も早く母国に帰りたくなるに決まっている。まして9・11直後は、米国の空港はすべて「封鎖」されたのだ。空港封鎖。その一事が、異国人にどれほどの恐怖感を与えるものか考えてもらいたい。

野球を見に来たはずだったのに、その日から野球は行われなくなった。それでも、とりあえずブレーブスの本拠地ターナー・フィールドへ行ってみる。どうやら、スタジアム観戦ツアーはやっているらしいので申し込んだ。客は、私1人だ。案内役は黒人の気のいいオバチャンで、こちらの拙い英語レベルに合わせてくれて、「こんなときに客が来るなんて思わなかったわよ」的なことを言っている。たっぷりと、球場の隅々まで見た。無人のロッカールームを徘徊した。無人の放送席も記者席も見た。ベンチ裏には、ゴルフのパターコースがあった。「マダックスとグラビンが社長に掛け合って作らせたのよ。ストレス解消のためにね」とオバチャンが説明してくれた。笑った。自分のストレスも和らいだような気がした。

数日後、空港封鎖は解除され、どうにか確保した帰国便チケットで成田に辿り着いた。すぐに新聞を買った。日本では「米国同時多発テロ」と称されていることを初めて知った。そして、スワローズが順調にVへ向けて前進していることと、崇拝していた映画監督の死去を知ったのだった。

(オースギ)

2011年09月20日

千葉ロッテファンだから。

10数年マリーンズを見ているが、間違いなく今が最悪の状態である。このポスターをボランティア制作してから半年、このような状態でシーズンを終えようとしているなんて、正直予想もしていなかった。

「18連敗」はどうなんだ?と思われる方もいるかも知れないが、あのときに何かに取り憑かれているような謎の負け方だった。幸か不幸か、今の弱さは「構造的」で「必然的」である。

ストレートに言うのもはばかられるが、根元、塀内、高濱、渡辺正人で占められる内野陣と下位打線で勝てるわけがない。打撃のみならず、はっきり言って守備も一軍レベルではない。ここ数日の試合も観ているが、内野の見えないエラーでの失点も多い(西岡と今江の高水準の守備と比べてしまうのは許されたい)。

何度も書くのだが、ワタシはCS賛成派である。理由は過去の記事をさかのぼってほしい。簡単に言えば、今この段階でも、東京湾岸の2チーム以外の10チームがポストシーズンへの可能性を持っているという楽しさ。

ただいくつかの弊害があり、そのひとつは、3位から優勝したチームが、その肥大した時価総額に浮かれて、正しい補強を見誤るという事態。昨年はバブルだったのだ 。本当はもっと地道な補強が急務だったのだ。

「今岡シンドローム」という言葉がある。いや、いまここでワタシが考えたのだが(笑)、次期打撃コーチとは無関係。「今」江と西「岡」の台頭によって、優秀な内野陣の輩出があれぐらい簡単でスムーズなことだとタカをくくっていなかったか、編成陣は。その結果が現在の病的な状態なのではないか。

とにかく一度リセットである。フロントやチーム人事のことはよく分からないので憶測でものは語らない。ただ高橋慶彦には残ってほしかった。

                     ●

「千葉ロッテファンだから」

原曲:南海ファンやもん(歌:アンタッチャブル)
東野博昭、野本弦助作詞/野本弦助作曲/土井 淳編曲

だって俺たち だって俺たち 千葉ロッテファンだから

去年の話が 酒のあてになる頃
そん時だけに 目の輝きが戻る
あん時ゃよかったね あん時ゃ強かったねと
言いたいばかりに 今日も幕張本郷の飲み屋へ

沈みかける夕陽に向かって 俺ひとり
ニシオカも サブローも テギュンもいない
だって俺たち だって俺たち 千葉ロッテファンだから

酒とグチと 千葉ロッテマリーンズ
一人で語る 05年のことを
散歩がてらに 浦和をたずねれば
オーこれがマリーンズ なんとも言えぬイー感じ

いつかきっとよくなるさ そのうちみてろとつぶやいて
夢をかたるほどに わびしい気持ちになってくる
だって俺たち だって俺たち 千葉ロッテファンだから

酒を飲めば底なしで どうせダメだとくだまいて
やっぱり足を運ぶ モノクロのユニフォーム好きだから
だって俺たち だって俺たち 千葉ロッテファンだから

(スージー鈴木)

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