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2011年03月 アーカイブ

2011年03月13日

3・25にNPBがやらなくてはいけないこと

今日(3月13日)の日刊スポーツによれば、NPB事務局は、25日の開幕戦開催について「そこまで検討する段階ではない」と答えたという。いまだ情報収集に手一杯ということか。

おそらくKスタの早期使用は困難だろう。開幕カードの「楽天×ロッテ」はビジターの千葉で代替開催、という対処は可能だけれど、QVCマリンフィールドも周辺が液状化しており、かなり厳しい状況のようだ。

それに加えて、電力供給問題という深刻な状況がある。国民的に大掛かりな「節電」に取り組まなくてはならないことは明らかで、そんな時に、ドーム球場および屋外球場でのナイトゲーム開催が許されるのか。

社会あってのプロ野球だから、自分たちの都合だけで物事を決められるはずもない。通常通りに公式戦をスタートしたい、という思いは野球界および野球ファンの総意だろうけれど、それが適わないという可能性も覚悟しておかなくてはならないだろう。

しかし見方を変えれば、NPBは何のために存在しているのかといえば、それは社会のために存在しているのであって、そういう見地からして、NPBがやるべきことはただひとつだと私は思う。それは、

(本来の開幕日である)3月25日からプロ野球を開催すること

である。たとえどんな形であってもだ。

通常の公式戦が開催できないのであれば、12球団による変則的な短期リーグ戦を「使用可能な屋外球場(神宮、横浜、甲子園、ほっともっと神戸、ズムスタなど)」で「デーゲーム」で行えばよい。もちろん、それは【復興支援試合】となるだろう。公式戦と同じ入場料を取ってよい。言うまでもなく、ベストメンバーによる真剣勝負だ。

それがどのくらいの期間に及ぶのかわからない。公式戦のように、毎日試合を行えるわけでもないだろう。それでも、とにかくどんな形でもいいから「試合=興行」を行わなくてはならない。なぜなら、プロ野球の社会的使命とは「プロ野球の試合を行うこと」にほかならないからだ。

そして、先の話にはなるけれど、7月に予定されているオールスター3試合は、会場を変更してもらいたい。Kスタ、岩手県営球場(盛岡)、福島県営あづま球場orいわきグリーンスタジアム、である。球場の復旧に時間がかかる場合は、時期を後ろへずらせばいい。

日本という国が幾多の困難を乗り越えて今日があるように、日本のプロ野球も様々な困難を乗り越えてきた。阪神大震災の2ヶ月半後に、神戸で開幕戦を開催した(私も現場にいました)。そして、第二次大戦中は他の競技が次々と活動を停止するなか昭和19年までリーグ戦を継続し、さらには、日本中が焦土と化した敗戦直後に「東西対抗」を開催した、日本プロ野球の歴史を今こそ思い起こさなくてはならない。

昭和二十年八月下旬のこと、空襲のため社屋を焼かれて東京築地の西本願寺に仮社屋を設けていた読売新聞社に、社長正力松太郎を訪ねた鈴木惣太郎は、開口一番、「プロ野球を再興したらどうでしょう」と切り出した。(大和球士『真説 日本野球史』昭和篇その五)

2011年03月23日

【再録】「野球は、正しい方向へ向かって進んでいる」

 以下は、2008年3月に、謎の野球ライター(笑)大杉カツオが、なぜか天下の『週刊ベースボール』に寄稿したコラムの再録です。本サイト「野球浴」の盟友であり、週ベ常連執筆者である野球文化評論家・スージー鈴木師匠の導きによって、伝統ある誌面の末席を汚す始末となったわけであります。
 では、なぜ今、この拙い一文を再録するのか。言うまでもなく、現在、讀賣を中心とするセ・リーグがとっている醜悪な態度に深く、深く絶望しているからである。
 お読みいただければわかるように、ワタシのプロ野球観は、大方(世間)のイメージとは違って「昔と比べたら本当によくなった」というものだ。文中には言及していないが、その分岐点は、2004年の球界再編騒動にあったと思う。あの荒波を潜り抜けたことで、パ・リーグが見違えるように再生した。それによって、古き悪しき(とあえて言う)「昭和のプロ野球」が後景に退き、よりよき「平成のプロ野球」が誕生しつつある。少なくとも、この時点ではそう確信していたのだった。
 どこの球団のファンであれ、現在進行形でまともに野球を見ている人なら、いまのNPBが「讀賣あってのプロ野球」などと思ってはいないはずだ。それが進歩というものである。しかし、東日本が大きく揺れ、その後に地中から出てきたものは何だったか。それは、忘れかけていた「昭和のプロ野球」の古き悪しき残骸にほかならなかった。讀賣がエゴを主張し、それにぶら下がるセ5球団が追随する。彼らはパ・リーグを蔑視し、野球ファンを蔑視し、世間を蔑視する。長嶋茂雄も王貞治ももういないのに。
 現状を見るにつけ、以下の一文でワタシが記したのは、束の間の、浅はかな、希望的見解に過ぎなかったということになる。しかし、本当にそれでいいのか。よくはないはずだ。「昭和の残骸」が何を主張しようとも、プロ野球は、そしてプロ野球ファンは、健全に進歩し、成熟しているはずだと思う。だとしたら、いま起こりつつある<暴挙>を許してはならない。仮にその<暴挙>が強行されるなら、何らかの態度表明をしなくてはならないだろう。
 以上、大瀧詠一師匠が自作リマスター版に寄せるライナーノーツばりの<長すぎる前置き>となってしまいましたが、お時間ある方は、一読くださいませ。(オースギ)


 プロ野球が好きだと自覚したのは、中日とロッテが日本シリーズを戦った年だから、1974年。今季で、ファン歴34年目ということになる。
 そんな世代だから、当然、「昭和のプロ野球」にはノスタルジーがある。デーゲームの日本シリーズ。神宮の外野芝生席。後楽園の「お帰りは地下鉄で」の看板。ベルトレスのユニフォーム。荒川博のべらんめぇ解説。日曜朝の『ミユキ野球教室』。選手の自宅住所がバッチリ書いてある名鑑。バックが静止画の『プロ野球ニュース』。ドラフト会議におけるパンチョ伊東の美声(例→クラウンライター、エガワスグル)。オフの余興番組でストライプの背広を着て演歌を熱唱するパンチパーマの選手たち……。

 で、ここからが本論。ノスタルジーとは、あくまでノスタルジーである。それ以上でも、それ以下でもない。あの頃は、今よりよかったのかどうか。それは、まったく別の話なのである。

 では、今の野球の状況は、どうなっているのか。アトランダムに挙げてみたい。
「巨人戦だけでなく、ほぼすべての公式戦を生中継で観られる」
「パ・リーグの球場が、普段の公式戦で満員になる」
「本拠地が首都圏と関西だけでなく、全国に分散する」
「セのチームとパのチームが、公式戦で対戦する」
「メジャーリーグで日本人選手が活躍する」
「プロ選手による野球版ワールドカップが開催されて、日本が優勝する」

 タイムスリップして、昭和の野球少年だった30年前の自分にこれらの事実を伝えたとしたら「ウソだろ!」と一蹴されるに違いない。どれもこれも、信じられない話ばかりだからだ。と同時に、当時の野球少年が「もしこんなふうになったらいいな」と心のどこかで思っていたことばかりでもある。
 つまり、今の野球界は、昭和の野球少年の「夢」が実現した世界なのである。「昔はよかった」というのは大間違いなのだ。

 もちろん、今の野球界にも様々な問題はある。あるけれども、少なくとも、我々世代が懐かしむ「昭和のプロ野球」よりは、確実によくなっている。何をもって「よくなっている」のかと問われたら、こう答えよう。「本当の野球好きにとって、よくなっている」のだと。

 本当の野球好きではない人々、すなわち、日常の中で野球の優先順位がそれほど高くない人々にとって、最近のプロ野球は沈滞しているように映るのかもしれない。スター選手は続々とアメリカへ行ってしまうし、巨人戦の地上波テレビ中継はどんどん減っているからだ。
 しかし、本当の野球好きにとって、そんなことは瑣末な問題にすぎない。日本人選手がメジャーで活躍するのは素直に誇らしいことだし、彼らのプレイを観戦する手段はいくらでもある。渡米した選手の穴埋めで若手が積極的に起用され、新陳代謝が促進されるという側面もある。そして、本当の野球好きは、地上波の野球中継なんてとっくに見限っている。

 だから、私が提言したいのは次のようなことである。野球を報じるメディア、および、現場の人々(選手含む)は「プロ野球が盛り下がっているから、なんとかしなくてはいけない」というような、ネガティブな物言いを一切やめてもらいたいのだ。
 野球は、正しい方向へ向かって進んでいる。そのことを「世間」に啓蒙するのが、野球人のやるべき行いだと思うのです。 (文中敬称略)

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