「地上波=世間」とプロ野球
日本シリーズ1、2、5戦の「地上波中継」が行われないという。
考えてみれば、ここ数年、BSかCSでしかプロ野球中継を見ていない。
正確にいえば「オールスターと日本シリーズだけ」地上波でプロ野球を見るのだった。
地上波はCMがせわしないし、余計なゲストを呼ぶし、観戦者としてのメリットは特にない。
今年のシリーズはBSとCSで中継するらしいから、個人的には、どうだっていい話ではある。
それでも無関心でいられないのは「世間」の空気というヤツがあるからだ。
地上波というのは、要するに「世間」なのだと思う。
CATVが引かれている自宅にいる分にはBSでもCSでもいいわけだが、
一歩外へ出たらどうか。たとえばラーメン屋のテレビとか、家電量販店の店頭のモニターとか、
サウナのテレビとかに映るのは「地上波」なのであって、
そういう空間に日本シリーズの映像が映らないということは、
「世間」にプロ野球が存在しないも同然ということにならないか。
「世間」は無責任でいいかげんだから、自分たちの目に入るものだけが物事の判断基準だ。
小沢一郎は頻繁に記者会見で「説明」しているのに(説明内容の当否はここでの論点ではない)
地上波にはそれが映らないから、
「世間」は、小沢一郎は追及から逃げ回っている悪いヤツだと判断する。
同様に、地上波に映らないプロ野球は、
「昔は盛り上がってたのにいまはダメなんだね」ということになる。
千葉マリンのスタンドがいくら盛り上がっていようとも、
残念ながら、そんなものは「世間」の視野には入らないのである。
プロ野球は基本的にプロ野球を好きな人々のためにあればいいのであって、
球場が人で賑わい、ファンがアクセスできる専門メディアが整備されていればOKだと思う。
その意味で、いまは「昭和」よりもずっといい時代だ。
それでも、「世間」への窓はどこかで開けておかなければいけないのではないか。
その窓とは、NPBが主催する2大イベント、オールスターと日本シリーズだろう。
オールスターは現在の花形選手を「世間」に紹介する舞台だし、
日本シリーズは、その年のプロ野球の真髄を「世間」に披露する戦いである。
したがって、プロ野球機構には、自分たちの財源確保という小さな目的ではなく、
「世間」との接点の維持という大きな目的のためにこそ、
「シリーズの地上波中継」を死守する義務があるのではないか。
94年にシリーズがナイターになったのは、
長嶋巨人(まさに「世間」に寄り添った存在!)の優勝によって
ゴールデンタイムでの高い放送権料が見込めると踏んだからである。
それが慣例となって、いつしか、自分たちの首を絞める結果となった。
ツイッターでも何度かつぶやいたことだけれど、このへんで、デーゲームに戻したらどうだろう。
たとえ料金は安くても、そのほうが中継枠を確保できるのではないか。
大事なのは目先のカネではない。地上波中継という「世間」への窓を確保できるかどうかだ。
ひょっとすると、「親が野球ファンでないと、子供は野球ファンにならない」という状況が
すでに生じつつあるかもしれない。
親が特別な野球好きではなくても野球ファンになる(かく言う私がそうです)。
そのためには、プロ野球を「世間」から覗くことができる窓がなくてはならない──と思う次第。
(オースギ)