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2010年08月 アーカイブ

2010年08月30日

「球数制限」は正論なのか

桑田真澄が、テレビで「高校野球に球数制限を導入すべし」と説いていた。
それ自体は、正論に聞こえる。
まして、甲子園優勝投手の言であれば、説得力は倍増するだろう。

それが正論である所以は、
将来のある高校生の身体を壊してはならない、という
誰もが納得する理由付けが背景にあるからだ。

だが、あえて問いたい。高校野球だって「野球」にほかならない。
野球という競技に「球数制限」というルールは本当にフィットするのか?

WBCをちゃんと見ていた人なら思ったはずだ。
「球数制限」とは、なんと野球的興趣を削ぐルールであることか。
仮に「先発は80球で降板」というルールだったとしたら、
試合開始から、プレイヤーも観客も、80球からの逆算で試合を見なくてはならない。
そんなことを気にしながら見る野球は、本当の野球だろうか。
野球というゲームの魅惑は、一球一打で局面が変わり、流れが変わり、
戦略や戦術が変わることではないのか。
そこに「あと1球投げたら降板だからね」という有無を言わさぬ合理的ルールを
差し挟むことの味気なさを、もう少し真剣に考えたほうがいい。

高校野球について優先的に改革すべきなのは「球数制限」よりも「日程面の調整」だ。
(個人的には、準決と決勝の間を1週間空けていいとすら思う)
主催者の都合で決まっているルールを考慮するのが先決であって、
野球という競技の本質に関わるルールに手をつっこむのはその後だろう。それが原則だ。

さらにいえば「高校野球」と一括りにすることも、実は乱暴な議論ではないだろうか。
桑田や松坂や田中マー君のような、卒業後のプロ入りが約束されているエリートもいれば、
大学や社会人で野球を続けようかな、と迷ってる選手もいるだろうし、
野球は高校で燃え尽きてもよし!という選手だってたくさんいるはずだ。
そういう多様性に満ちた選手たちを「球数制限」という有無を言わさぬ合理的ルールで
一律に縛り付けるというやり方が、果たして正しいのだろうか。

選手の身体に配慮し、多様性に満ちた個々のケースに対応し、
なおかつ野球というゲームの本質を曲げないためにはどうすればいいのか。
まずは、日程面の調整など側面からの改革が必要だ。
そのうえで、結局は、選手の個別性を把握している各チームの監督の
「良識ある判断」に任せるほかないだろうと思う。
そういう「良識ある判断」を醸成するために必要なのは、
高校野球の在り方とは何ぞや、という大きな認識の共有なのであって、
小手先のルールの改正ではない。

だからこそ桑田は、「小手先のルール改正」を提言する前に、
まず前提として、自らがドラフトで巨人に指名された経緯を語るべきではないのか。

高校野球が歪んでしまった原因を、
高校の指導者のエゴだけに押し付けるのはフェアではない。
高校野球が歪んだのは、プロ野球をも巻き込んだ「構造」にあるのであって、
あなたはその「構造」の渦中にいたのではないですか?

(オースギ)


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