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2009年11月 アーカイブ

2009年11月01日

野球落語『オマリー寝床』

下手な義太夫語りの事を、「五色の声」、つまり「まだ青き 素(白)人浄瑠璃 玄(黒)人がって 赤い顔して 黄な声を出す」と言ったのは蜀山人だという。

ある長屋の大家、オマリー旦那もそんな類の一人。ただ彼の場合は義太夫ではなく、音痴な歌。それも『六甲おろし』。すぐ他人に聴かせたがるが、あまりにも音痴なので、長屋の店子たちは誰も聞きに来ない。だったら、せめてご馳走をして、ご機嫌をとろうと色々と準備をしてから店員の繁蔵を呼びに行かせたがやはり駄目。

提灯屋は開店祝いの提灯を山のように発注されてんてこ舞い、金物屋は無尽の親もらいの初回だから出席しない訳にはいかず、小間物屋は女房が臨月なため辞退、鳶の頭は成田山へお詣りの約束、豆腐屋は法事に出す生揚げやがんもどきをたくさん発注されて大忙しと全員断られてしまった。ならば、と店の使用人たちに聞かせようとするが、全員仮病を使って聴こうとしない。

頭に来たオマリー旦那は、長屋は全員店立て(たたき出すこと)、店の者は全員クビだと言って不貞寝してしまう。それでは困る長屋の一同、観念して旦那の『六甲おろし』を聴こうと決意した。

一同におだてられ、ご機嫌を直して再び語ることにしたオマリー旦那は、縦縞のユニフォームを着て、マイクのセッティングなど準備に取りかかる。その様子を見ながら一同、オマリー旦那の歌で奇病にかかったご隠居の話などをして、酔っ払えば分からなくなるだろうと酒盛りを始めた。

やがて始まったオマリー旦那の歌をよそに、酒が回った長屋の一同、全員居眠りを始めてしまう。我に返って気づいたオマリー旦那は激怒するが、何故か、丁稚の小林くんだけが泣いているのを見て機嫌を直した。何処に感動したのかと聞いてみるが、小林くんの返事は「みんなが寝ちゃって、自分の寝床が無かったんです」

しかし、日本語が不得手なオマリー旦那、小林くんが言う「寝床」の意味が分からず、勝手に感動していると思いこみ、「小林くんがイチバンやー」と叫び、そこから14曲連続で歌いつづけたという。これが世に言う「小林・オマリーの14曲」……

(ス)

2009年11月10日

勝者なきゼロ年代

2009年の日本シリーズ終了。
ということは、「ゼロ年代のプロ野球」がこれで終了したということである。
この10年のシリーズの結果を、ざっと振り返ってみよう。(カッコ内は敗者)

2000 巨人(ダイエー)
2001 ヤクルト(近鉄)
2002 巨人(西武)
2003 ダイエー(阪神)
2004 西武(中日)
2005 ロッテ(阪神)
2006 日本ハム(中日)
2007 中日(日本ハム)
2008 西武(巨人)
2009 巨人(日本ハム)

巨人3勝、西武2勝、ヤクルト、中日、ダイエー、ロッテ、日本ハムが各1勝。
数字を見る限り、「ゼロ年代の王者は巨人」ということになる。
実際のところ、各ディケイドにおける巨人のシリーズ勝利回数をみると、
90年代が1勝、80年代が2勝(ちなみに70年代は4勝、60年代は7勝)だから、
ゼロ年代は「名門巨人軍復権」の時代として定義できるのかもしれない。

とはいえ、「ゼロ年代=巨人の時代」という実感は、限りなく薄い。
なぜなら、2000年、02年の巨人と09年の巨人にはほぼ連続性がないからである。
その間(堀内時代)には、どうしようもない沈滞期があった。
09年の巨人は、むしろ「2010年代へ向けた過渡期のチーム」とみるべきだろう。

リストを一瞥すれば分かるように、
ゼロ年代は、日本シリーズを「連覇」する球団がついに現れなかった。
これは、日本シリーズが始まった1950年代以来、初めてのことだ。
50年代には「西鉄の時代」があり、60年代はもちろん「巨人の時代」。
70年代には「阪急の時代」があって、80年代は「西武の時代」。
しかし、90~92年の西武を最後に、シリーズを「連覇」する球団は出ていない。
それでも、92~97年の6年で4回シリーズに出て3勝したヤクルトのようなチームが
90年代にはあったのだけれど、ゼロ年代にはそういうチームすらなかったのである。

なぜ、一つのチームが「王朝」を築けなくなったのか。
いうまでもなく、最大の理由は、
FA、ポスティング、他球団で活躍した外国人引き抜き、等による
国内/国外への選手移動が頻繁になったことだろう。
それによって、主に人材が流出する側のパ・リーグは
各球団の新陳代謝が物凄い速度で進み、空前の群雄割拠状態となった。
一方のセ・リーグは、巨・神・中の老舗3球団に人材が集中した結果、
「新陳代謝の乏しい高年俸球団」と「相手に名前負けする低年俸球団」との
格差が固定してダイナミズムが失われた。

他にも、一つの球団が「王朝」を築けない理由はいくつか考えられる。

「プレイオフ導入により、日本シリーズ出場権獲得の可能性が拡大した」
「データ分析の緻密化により、選手が継続して好成績を収めることが困難になった」
「アマチュアの指導レベルが全体的に向上したため、ドラフト段階での“人材格差”がかつてより縮まった」

いずれにしろ、この10年間は
かつてない速度で人材が流動化し、どの球団も安定した状態を作れなかった。
04年日本一の西武は、クリーンアップがフェルナンデス・カブレラ・和田で、エースが松坂。
08年日本一の西武は、クリーンアップが中島・中村・石井義で、エースが涌井。
一つのチームがたった4年でまるで違う顔触れに変貌していて、
それなのに、どちらも日本一になってしまう。
それがゼロ年代のプロ野球だったのだ。

原辰徳は、あちこちで「今年から5連覇する」と宣言している。
個人的には、そんな時代が来られたらたまったもんじゃないのだが、
おそらく、原自身はそれが時代に逆行する宣言であることを承知のうえで、
あえて口にしているんだろうと思う。
しかし実際問題、たとえば3年後の巨人がどうなっているかというと、
小笠原・ラミレス・亀井がクリーンアップで、エースがゴンザレスで、
抑えがクルーン……ってことは、まずないだろう。

5連覇は、とてつもなく困難な道だぞ。いや、3連覇、2連覇すらも。

(オースギ)

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