野球文化小説としての『東京物語』
今、もっとも野球な作家と言えば、奥田英朗氏だと思う。
『野球の国』という、どこかの珍妙な野球シンガーがパクったタイトルの本もいいし、一昨年、北海道日本ハムが日本シリーズ制覇をしたときに、彼が『Number』誌に寄せた、相手チーム中日ファンの視点によるシニカルでペーソス溢れる文章にも感動した。
今回お勧めするのは『東京物語』。おそらく奥田氏本人と思われる少年が、1978年に名古屋から上京し、大学入学、中退。そしてコピーライターとして奮闘する80年代を語った私小説。
上京した日は、1978年4月4日。そう。後楽園球場でキャンディーズの解散コンサートが行われた日。
池袋の下宿から、大都会東京の大きさにおびえながら、ふらふらと水道橋駅にたどり着く。同じく名古屋から出てきた同級生の友人と、解散コンサートの爆音を少し距離を隔てた駅前の歩道橋から聴く。
そこに、酔っぱらった同郷のオヤジが絡んでくる。
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「巨人ファンに寝返ったらあかんぞ」
笑った。おじさんは、名古屋人は一生、中日ドラゴンズを応援しなければいけないと、酒の臭いをプンプンさせながらしゃべっていた。
「今年の中日は優勝するぞ」
「はぁ、そうですか」
「星稜高校から小松っていう凄いピッチャーが入ったんだ。こいつはやるぞ。絶対に大物になるぞ」
名前は知らないけど、自分たちと同い年かと思った。「じゃあ、ぼくらも応援しますよ」と心から言った。十八歳代表として本当に頑張ってほしいものだ。
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よくアメリカにおける「野球文化」の典型的な例として、ヘミングウェイ『老人と海』におけるジョー・ディマジオの例が持ち出されて、「あぁ、アメリカの野球文化はなんて豊かなんだろう」と、訳知り顔に語られたりするが、いやいや。日本も、名古屋も捨てたもんじゃない。
このシーンの次の章は、江川のデビュー戦の日に同級生と恋に落ちるという設定なのですが、これもいいです。お勧めです。
(ス)