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イチローの言葉遣いを分析する。

最近、ハガキ職人のようにホットブリーチャーに投稿しているスージー鈴木です。以下、我が個人サイト(http://homepage2.nifty.com/suzie/gogo0601-0603.html#20060313)で一昨年に発表した文章です。個人的に気に入っており、また似た論調も出てこないので、ここで再掲し、世に問いたいと思います。

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ちょっとした発見。

「戦った相手が“向こう30年は日本に手は出せないな”という思いになるほどの勝ち方をしたい」

イチローの言葉って、なんか独特の文体じゃないですか?

「今の僕にはベストゲームっていう概念が存在しないし、どのゲームだってベストになり得ません。だって必ず何かが欠けてしまいますから」(『日本野球25人 私のベストゲーム』文藝春秋社より)

「もっと先には、もっと違う自分が現れるんじゃないか、という期待が常にあります」(同書より)

この2つもなんかおかしい、不思議な日本語だ。

ま、あれだけの選手だから、長嶋語と同じく、言語体系すらも常人の枠を超えていても不思議ではないのかも知れないが、長嶋氏と違って、イチローの言葉遣いには意図的なものを感じる。

(1)大仰:「向こう30年」「概念」「もっと違う自分」。大仰だ。少なくとも会話文で出てくる単語群ではない。

(2)翻訳調:「概念」(conception)という抽象名詞もそうだけど、「......という思いになるほどの勝ち方」という言い回し(関係代名詞っぽい)や、「......が存在しない」「どのゲームだってベストになり得ません」なんていう持ってまわった言い回し(普通の日本語会話文体なら「ベストゲームなんて無い」と素直な言い方になるはず)も翻訳調だ。

(3)宗教的:「もっと違う自分」なんていう、スピリチュアルとまでは行かないが、ソレ系の思わせぶりな言い方をよくする。

イチローの言葉遣いを着目した評論家/ライターはまだいないはずだが、いちはやく着目した私でさえ、この背景に何があるのかが分からない。

ただひとついえることは、上(1)~(3)を満たした言葉遣いをする有名人をもうひとりだけ知っているということだ。

佐野元春。

イチローの文体は、かなり佐野元春っぽい。それもインタビューなどの受け答えの言葉遣い。

言われてみれば、いまのイチローと、単身ニューヨークに出てきた『VISITORS』のころの佐野氏に共通項があるようなないような。

いずれにせよこれは新説だぞ。イチローで食っているライター諸君(ほら、I君やN君よ)、パクってもいいから、この分析を受け継いで進めてくれ。
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この後、イチローはずっとこの道を突き進み、『天城越え』を出囃子に使うという、もう常人には理解できない世界に到達してしまった。

もしやイチローは、田尾や張本の平成版、ではなく、もしや「平成の榎本喜八」なのかも知れない!?

(ス)

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2008年04月15日 13:25に投稿されたエントリーのページです。

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