1960~70年代にかけて活躍した闘将・江藤慎一さんが28日、亡くなられた。
あの落合博満でも成し遂げられなかったセ・パ両リーグでの首位打者タイトルを唯一獲得しているスラッガーである。
9年連続20本塁打、11回のオールスター出場等、輝かしい球歴を残した。
私には一つの記憶が残っている。
それは彼が晩年を迎えた時である。
時は昭和49年、場所は中日球場。対大洋ホエールズとのダブルヘッダー。
このゲームに連勝すれば残る讀賣戦一試合を残し、中日ドラゴンズが20年ぶりのリーグ優勝を迎えようとしていた重要な戦いであった。
第一試合。内容は中日のワンサイドゲーム。
そして打席に江藤が立った。
なんとその時、立錐の余地もないほど膨れ上がっていた3万5000人大観衆の全てが彼に声援を送り始めたではないか。
当時、小学5年生で野球の歴史など全く頭には入っておらず、一緒に観戦していた父に
『どうして皆、敵チームのバッターを応援しているの?』
と尋ねたことを今でも昨日のように覚えている。
『江藤!ホームランかっ飛ばせぇぇ~』
『江藤!お前だけなら打たれてもいいぞぉ~』
凄い歓声の中、サウスポー松本幸行が投じた球を一振り!
打球は綺麗な弧を描いてレフトスタンドに消えていった。
その瞬間、中日ファンはみな江藤ファンになったように思えた、いや確かにそうであった。
江藤は大歓声に応え、右手をグルグル回してダイヤモンドを一周、そしてホームイン後、ヘルメットを取ってスタンドに一礼した。
それが野武士を見た最初で最後のシーンとなった。
中日ドラゴンズというチームを追われた身だが、彼以上に中日を愛した男はいなかったように思える。
今朝の中日スポーツにこんな一文が掲載されていた。
『1軍の監督は無理でも、2軍の打撃コーチになれたら…。ドラゴンズの若い人を教えたい。』
夢が叶えずさぞかし無念だったことだろう。
今はただゆっくり休んでもらおう。
そして一息ついたら天国プロ野球の新人として猛打を炸裂させて欲しい。
さぞかし天国もうるさくなるんだろうなぁ(笑)
合掌
P.S.
中田よ、清原ではなく江藤慎一こそ公私とも目標とする選手ではないか。彼を良い意味、悪い意味スケールを超えるドでかい選手に成長して欲しいものである。