2012年06月21日

パ・リーグファンはいるがセ・リーグファンはいない?

今季の交流戦も全日程終了。優勝は巨人(セ・リーグ初)でしたが、両リーグの勝敗はパが1勝差でセを振り切り、8年間で7度目の勝ち越し。今夜の試合でスワローズが勝っていればセが勝ち越しだったのに……というわけで、セ・リーグファンの皆様には我がチームのふがいなさを深くお詫びいたします。

と書いたところで、はて「セ・リーグファン」っているのかいな?と素朴な疑問が湧いてくるのですね。

あくまで自分の見聞の範囲内であることを断っておきますが、パ・リーグ球団のファンは、交流戦やオールスターのようなリーグ対抗のシチュエーションになると、結束して「パ・リーグファン」になる人が多い。日本シリーズを見る場合でも、パのチームを応援する傾向が強いように思います。一方、セ・リーグ球団のファン(自分を含む)にそういう気風はきわめて希薄である。まあ、一言で言えば「文化の違い」がそこにあるわけですね。「白いボールのファンタジー」はみんなが愛唱するけれど「六つの星」(セの連盟歌)を声高らかに歌うヤツはただの変人であります。

1950年の2リーグ分立までプロ野球史を遡れば、両リーグがなぜ違う「文化」を背負うことになったかはたやすく了解できるのでここでは詳述しません。その文化的伝統が、2004年の球界再編騒動をきっかけにより現代的に強化された形で蘇り、今に続く「交流戦とはパ・リーグの興隆戦なり」という状況を生み出していることも、熱心なプロ野球ファンの方々には周知の事実でしょう。

という状況を踏まえて、なぜ「セ・リーグファン」という存在が少ない(ように思われる)のか、自分に即して考えてみます。

スワローズのファンをやっている以上、普段、観戦する試合の大半はセ・リーグの公式戦ということになる。そこではエキサイティングな野球が展開されていてほしい。魅力的な選手がたくさん登場する環境であってほしい。となれば、セ・リーグの活性化を願うのは当然であるはずで、だとしたら、交流戦を見る際にも「セ・リーグ目線」であってしかるべき……であることは、頭では分かっているのです。分かっているのですが、どうも「セ・リーグファン」になりきれない。その理由はしごく単純で、どんなシチュエーションであろうと「巨人を応援するという発想がない」という一言に尽きます。基本にそれがあるものだから、別に阪神や中日だって応援する義理はないよな、となってしまうわけです。まあ、こういうのは「アンチ巨人」というフレームにとらわれた昭和野球オヤジの古き悪しきセンスなので早く消滅すべきものですが(ワタシはたぶん死ぬまで無理なので、後進の方々に期待します)、でも、巨人以外のセ5球団のファンには、そういう人が少なくないのではないですか。

ここで暴論を述べます。私はひそかに「スワローズがパ・リーグへ移ってもいいんじゃないか」と思っているところがあります。現在のNPBで、フランチャイズ地域が重複するのは巨人とヤクルト(東京都)で、その2つが同じリーグというのはあまり合理的とは思えません。ヤンキースとメッツ、ホワイトソックスとカブス、エンゼルスとドジャース、どれもリーグは違うわけです。セ・リーグはそもそも巨人が作ったリーグなのだから、ここはスワローズがいさぎよく身を引いて(笑)パへ移りますよ。なんか、そのほうが試合見てても楽しそうだし。札幌や福岡や仙台へ応援遠征するチャンスも増えるだろうし(今より勝てなくなるだろ、という外野の声はあえて封印)……なんてことを、特に交流戦導入以降、考えることがたまにあるわけです。そうすれば、自分はスワローズファンであると同時に「パ・リーグファン」に素直になれるだろうし、それはすなわち、昭和の時代からずっと自分を束縛してきた「アンチ巨人」というフレームから自由になれるということじゃないか。

まあ、そんな暴論は実現しないでしょうね。今の状況を見る限り、「じゃあ、代わりにウチがセに行きます」と手をあげるパの球団があるとは思えないから。仮にそんな球団があったとしても、ファンの大ブーイングを食らうんじゃないですかね。

(オースギ)

2012年04月19日

ファンサービスに試合の勝敗を介在させてはいけない

横浜DeNAベイスターズは、5月1日(火)から5月6日(日)の本拠地6連戦で実施する『Bibon Festa 2012 ~together & fun!!~』において、様々な企画チケットを発売します。“お客様の満足度”によってチケット代金が変動する『全額返金!?アツいぜ!チケット』は、プロ野球観戦では勝敗はもちろんのこと、試合そのものがお客様の心にアツいものを感じていただけるものだったかどうか、それをチケット代金に反映させる企画チケットです。お客様がアツくなった度合いによってチケット代金を自己申告いただき、横浜DeNAベイスターズが勝った場合はチケット代の半額まで、負けた場合はチケット代全額までを返金の上限として、その範囲内でキャッシュバックいたします。なお、チームの勝敗に連動しての価格変動ではございませんので、予めご了承ください。(横浜DeNAベイスターズHPより)

これを知ったときから、ずっとモヤモヤしていたのである。

「チームの勝敗に連動しての価格変動ではございません」とある。しかし、「チケット代金を自己申告」で「負けた場合はチケット代全額までを返金の上限」というのならば、実際はベイスターズが負けたらタダ見で結構と言っているのと一緒ではないのか。

ファンサービスは大切だ。それをおろそかにして、これからのプロスポーツは生き残っていけないだろう。大いにやっていただきたい。ただし、ファンサービスに試合の勝敗を介在させてはいけない。それは、踏み越えてはいけない一線ではないのか。

試合の勝ち負けはグラウンドにいる者の専権事項であり、原辰徳風の大仰な言葉を使うなら「聖域」である。コミッショナーだろうがナベツネだろうが誰だろうが、ユニフォームを着ていない者が試合の勝ち負けに介在することはできない。その原則を踏み越えたときに何が起こるかは、過去の忌まわしい歴史が教えてくれる。「嘘だと言ってよ、ジョー」のブラックソックス事件であり、西鉄ライオンズを壊滅に追い込んだ黒い霧事件である。大げさなことを書いていると思われるかもしれないが、試合の勝ち負けが見る者の経済にダイレクトに影響する、という意味では同じだと考えるべきだ。それを同じと考えられない鈍感さがモラルハザードを招き、やがて取り返しのつかない災厄をもたらすことになる。

チケットの変動価格という「ファンサービス」自体は、メジャーでもよく見られることだ。ただしそれは、その日のウォール街の株価に連動したものであるとか、あるいは、季節や曜日や対戦相手に応じて価格を変えていくというものであって、「試合の勝ち負け」を対象にするものなどないと思う。いくらメジャーの商魂がたくましくても、そういうことはやってはいけない、という最低限のモラルがそこにある。ひるがえって、DeNAのフロントには、最低限のモラルが欠如しているというしかない。言い方を変えるなら、この業界に参入したばかりの彼らには、プロ野球という興行に対する畏れが足りない

チームが勝とうが負けようが、同じようにあなた方を楽しませますよ。それがファンサービスというものではないのだろうか。

(オースギ)

2012年03月29日

「予想」よりも「予想外」を!

前回、自分でも「予想」を書いているわけで他人のことを言える立場じゃないですが、開幕直前、各メディアにあふれる「予想」を眺めていると、自戒も込めて、やっぱりこう思ってしまうのであります。

「予想」よりも「予想外」のほうが面白いに決まってる。

予想とは過去の実績から想定される範囲の出来事であり、予想外とはゼロから突如として現出するアクシデントである。簡単な例でいうと「杉内が15勝する」というのは予想であり「宮國が15勝する」というのは予想外であろう。で、どちらがプロ野球を活性化させるスリリングな事件かといえば、文句なしに後者だと思う。

「ダルビッシュの穴が大きい」「青木の穴が大きい」「杉内と和田とホールトンと川﨑の穴が大きい」……というのはすべて「予想」に立脚した物言いである。評論家の分析としては正しいのかもしれないけれど、野球ファンは「穴」を確認するために球場へ行ったりCSチャンネルと契約するわけじゃない。「穴」の大きさを計測するために、日々、時間をやりくりしながら野球を追い続けるわけじゃない。

野球には「穴」なんてない。いつだって打順には9人が並んでいるし、フィールドには9人が守っているのだから、それをただただ見ていればいい。ただただ見ていれば、そこには必ず何らかの「予想外」が立ち上がってくるはずなのだ。

1994年シーズンの開幕前、パンチ佐藤との抱き合わせ商法(?)で登録名を変えられたオリックスの若手外野手イチローが、シーズン200安打を打つと誰が「予想」しただろう。

そういうわけで、今シーズンのプロ野球、ワタシの心の観戦フレーズは以下の通りです。

1994年のイチローが200安打を打ったのだから、2012年の上田剛史が200安打を打ったっていいじゃないか!

(オースギ)

2012年03月21日

2012ペナントレース予想

何やら騒がしいプロ野球周辺ですが、「とことんやれ。いい機会だから、巨人のみならず全ての膿を出せ」とワタシは思います。名前を出された選手は、球場で大いにヤジられればよろしい。その中で黙々とプレイして結果を出すのが「プロ野球選手」なのであって、それに耐えられない選手はそもそも億単位の契約金に値するプレイヤーではなかったというだけのことです。別所や江川のツラの皮の厚さに学べばよろしい。

ということで、開幕直前。たまには普通に野球のことを書いてみたいので、何のヒネリもない、2012年ペナントレース予想です。無論、独断であってヤマカン以外に何の根拠もないことをご了解ください。では、順位予想から。

【パ・リーグ】
①福岡ソフトバンクホークス
②埼玉西武ライオンズ
③千葉ロッテマリーンズ
④オリックス・バファローズ
⑤東北楽天ゴールデンイーグルス
⑥北海道日本ハムファイターズ

パは消去法の色が濃いのですが、戦力低下と言われる①は、それでも総合力が違うと考えます。明石、今宮、福田あたりの「レギュラー半」の選手の力が、他球団の同ランクの選手より一枚上と思われ。先発陣が課題なのでしょうが、個人的に、山田は打線との絡みさえ良ければ15勝クラスの投手だと思っています。②は中島残留と十亀が使えそうなので、ブルぺンの構築さえ大間違いしなければまずAクラスは確実かと。③は、「渡辺俊介が先発ローテ4番手」という意外な分厚さに魅力を覚えます。典型的なムラっ気チームで、良→悪、とくれば今年は良の番でしょう。④は前評判が高いですが、こういう「外面だけは何となく戦力揃った感」は信用しないことにしているのでBクラス評価。イ・デホが期待外れで平野にアクシデントがあればガタガタ崩れるのでは。⑤は昨年に続き今年も応援したいチームですが、何しろ戦力が足りなすぎる。一方、ダルがいないとはいえ戦力的にはAクラスの⑥は、言うまでもなく「新監督効果」です。開幕投手ウンヌンの言動を見ていても、戦前の危惧通り「あの人」の下ではチームの生態系が崩壊するのではと思えてなりません。野手陣の主力は成熟した選手が多いので本来はドンと構えてオーダーやポジションを動かさないほうがいいはずですが、「あの人」は少し負けが続くとすぐに余計なコマの動かし方をやらかしそうで……。

【セ・リーグ】
①東京ヤクルトスワローズ
②阪神タイガース
③讀賣ジャイアンツ
④広島東洋カープ
⑤中日ドラゴンズ
⑥横浜DeNAベイスターズ

①は……すいません、デフォルトなので許してください。青木の穴は上田でOKと思ってますが、それ以外では不安だらけです。今季も守り勝ちするしかない陣容ですが、頭数だけは豊富な先発陣は誰も好調とは思えず、イム先生が機能するかどうかもまだ分かりません。②は、「間違いの少なそうな」和田監督を評価しました。岩田が開幕からローテ入りするのも好材料だし、藤川も今季一杯は大丈夫でしょう。金本と城島の起用法を「間違えなければ」、本来Aクラスにいなければおかしい戦力です。ダントツ優勝候補であろう③ですが、ワタシもその世論に抗う気はありません。これで万が一Bクラスなんてことがあったら、それこそ笑いものでしょう。ただ、優勝候補の割にチームの核が固まっていない(センターラインとクローザー)のが本当にミステリアス。④は、願望ではAクラスに入ってほしいチーム。戦力は確実にUPしていると思います。12球団一腰の軽い監督を、落合ばりにドシッと座らせておくことができれば……。⑤はフロントの意思で「違うチーム」にしたのだから今季はこんなもんでしょう。開幕4番が山崎武司という時点で何か違う方向を向いていると思わざるをえません(山崎武司は大好きな選手ですが)。⑥は、とにかく頑張ってください。まずは正捕手を固定して、国吉をその気にさせることです。勝率は昨年よりも確実に上がるでしょう。

勝手なことばかり書き散らかしましたが、各チームのファンの方々はご容赦願います。
個人タイトル予想はまた後日。

(オースギ)

2012年02月25日

大下と大嶋

福岡のRKB毎日から幾多の傑作ドキュメンタリーを送り出した異能のテレビディレクター、木村栄文のレトロスペクティブ上映が行われている。そのうちの一本である『桜吹雪のホームラン~証言・天才打者大下弘』を鑑賞した。

冒頭に映る球場は、平和台ではない。雪に覆われた札幌円山球場だ。その謎は、すぐに明かされる。札幌で行われた東急フライヤーズ×大映スターズ戦で大下が打った特大場外ホームランの落下地点を目指して、初老の男たちが歩くのだ。その先頭にいるのは、ホームランを打たれた大映の投手、野口正明である。以降、夫人、チームメイト、対戦相手、ファン、大下が主宰していた少年野球チームの選手たちなどの証言を主軸に、当時の試合映像をふんだんに織り込みながら大下の足跡が綴られる。制作年は、大下の没後10年にあたる1989年。上映時間は81分。

全体を支配するのは、なんともいえない野球的幸福感である。映像の中の大下は、いつも満ち足りた笑顔を浮かべている。グラウンドでも、少年野球の選手に囲まれたときも、そして夜の街でも。また、大下の思い出を語る証言者たちの顔も、みんな幸福な表情なのである。近鉄投手時代に対戦した思い出を語る関根潤三氏。公園の鉄棒?に寄りかかりながら大下の魅力の真髄を喝破する千葉茂氏。引退試合で大下が打ったファウルボールを2回キャッチしたファンの顔と語りは、世代と時空を超えて野球バカのハートをわしづかみにする素晴らしさだ。そして、「こういうのが木村栄文流か」と思わせるのが、川上哲治に対する露骨に悪意ある編集(笑)である。これは見てのお楽しみ。

昭和野球マニアにとっては、当時の試合映像だけでもたまらない。大下とは直接関係ないけれど、昭和31年の日本シリーズで中西太がホームにド迫力のスライディングで生還するシーンをバックネット裏のカメラからとらえた映像だけでも見る価値がある。

やがて西鉄の黄金期は終わり、名将・三原脩が福岡を去るのとほぼ同時期に、大下弘も現役生活を終える。決して幸福とはいえなかったであろう晩年~引退後の境遇が、そして、大下の笑顔の背景にあったと思われる「複雑」な事情が、過度に感傷的になることなく、淡々と描かれていく。そして終盤、思わぬ形で「西鉄ライオンズの歌」が登場するのである(私はここで泣きました)。

大下が、現役時代から地元の少年たちを集めて野球チームを主宰していたエピソードは、ずいぶん前に読んだ『大下弘 虹の生涯』(辺見じゅん)で知ってはいたが、あらためて映像で見ると、それはまさに、この国に生まれた極上の野球的ファンタジーであったと思わざるをえない。現在でも、少年野球に積極的に関わる選手は何人もいるだろう。例えば、イチローは毎年、オフに自ら主宰する少年野球大会を地元の愛知で開催しているはずだ。しかし大下の少年野球エピソードは「次元が違う」のだ。それは、「大下さんが試合へ行くときに、みんなで後ろからゾロゾロついていった」「ああいうときの費用(観戦料)はどうしてたんだろう。きっと大下さんが払っていたのかな」という証言に集約されていると思う。今の選手だって、自分の名前を冠したシートを買い上げて野球少年たちを招待したりはしているけれど、「招待する」というのと、「自分の後ろをゾロゾロついてきた少年たちに、自腹を切って野球を見せてやる」というのはまったく別の話ではないだろうか。それはあの時代だからできたことであっただろうし、もっといえば、大下弘だからできたことなのだと思う。だからこそ、ファンタジーなのである。

最後に、本コラムのタイトルの種明かしを。大下の流麗な打撃フォームの最大の特徴は、フォロースルーの形にあると思う。最後まで両手でしっかりとバットを握っていて、なおかつ、トップが空のほうを向いている独特の形。ダウンスイング、レベルスイングの「近代野球」では、ほとんど見られなくなった形である。だが待てよ、最近、大下みたいなフォロースルーを見た気がするぞ。少し考えて、答えが出た。それは、ファイターズの「ソフトボールルーキー」大嶋匠のフォロースルーだった。大下がプロ野球人生をスタートさせた球団の系譜に連なるチームに、大下の「異端児のDNA」がひそかに継承されている。そう考えると、画面の中のセピア色の20世紀野球と、目の前にある21世紀野球が、確かにつながっていると思えてくるのだった。

【追記】『大下弘 虹の生涯』では、大下の「死因」をはっきりと記している。手元にある同書の初版は1992年で、『桜吹雪のホームラン』放送の3年後である。木村栄文が存命なら(2011年3月に逝去)、そのことについて聞いてみたかった。

(オースギ)

2012年02月02日

リスタート

2012年の球春が明けました。みなさんおめでとうございます。

例年なら「やっと長いオフが終わった」という心境になるものだけど、2011-12のオフは、なんだかあっという間だった。単純な理由としては、開幕が遅れたためにオフの日数が少なかったということがある。それに加えて、日数が少ない割に「人の出入り」が例年になく激しかったことも、「もうキャンプインなのか」という印象を抱く一因かもしれない。パの優勝チームからローテーション投手3人と1番打者が抜け、セの優勝チームから指揮官と大半のコーチがいなくなった。セの最下位チームの親会社が変わり、そして日本一の投手がアメリカへ旅立った。NPBの歴史でも、こういうオフシーズンは珍しいのではないか。

さて、2012年。要約すればこういうことになる。

落合とダルビッシュのいないプロ野球が始まる。

厳密に「何年から」と定義することは難しいけれど、ゼロ年代後半から2011年までのプロ野球の「軸」は、監督としての落合であり、選手としてのダルビッシュであったと思う。なぜ「軸」だったかというと、ともに、前例のないスタイルを野球界に導入して、なおかつ結果を出し続けたからだ。つまり、歴史に残る仕事をしたからである。後から球史を振り返ったとき、この時期のプロ野球は「落合が采配をふるい、ダルビッシュが投げていた時代」と総括されるだろう。60年代後半~70年代前半が「川上が采配をふるい、ONが打ちまくっていた時代」、90年代が「野村ID野球とイチローの時代」であるように。

2つの「軸」がいなくなった2012年シーズンは、新しい「軸」を探すための、リスタートのシーズンになる。それは、落合みたいな監督や、ダルビッシュみたいな投手を待望するという意味ではない。全然違うスタイルで一向に構わないし、むしろそのほうが望ましい。今まで見たことのないようなスタイルで結果を出し続ける存在、要するに「画期的な野球人」が新たに出現するための第一歩のシーズンということだ。

NPB76年の歴史は、ある「軸」が消えたら次の「軸」が現れ……という歴史の積み重ねだ。だからこの先も、新しい「軸」はきっと生まれてくると思う。それがプロ野球の底力である。「軸」になるチャンスは、どの監督にも、どの選手にも、どのチームにも平等に用意されている。ここからが、また新しいスタートだ。そう考えれば、これほど楽しみなシーズンもないではないか。野球ファンは、ただ前を向くのみである。

(オースギ)

2011年10月29日

僕の好きな叔父さん

報道によれば、東海大の菅野智之が初めてプロ野球を観戦したのは、叔父・原辰徳の引退試合だという。私も、この試合を東京ドームのスタンドで見ていたのでよく覚えている。試合後のセレモニーで、原が「巨人には侵すことのできない聖域があります」という、あまりにも重々しい挨拶をした日である(蛇足ながら、あの挨拶は、長嶋茂雄の「我が巨人軍は永久に不滅です」という明快かつ軽すぎる引退スピーチとあまりにも対照的だ)。

菅野少年が、叔父さんの発した「セイイキ」という言葉の意味をどこまで理解していたかは分からない。ただ、ああいう雰囲気の試合を体感すれば、巨人というチームに対する執着が身体に貼り付いたとしても不思議ではないだろう。おそらく、彼の傍らには原の親族一同がいて、涙を流していたに違いない。試合後にベンチ裏へ行って、さっき挨拶をしたばかりのユニフォーム姿の叔父さんと握手を交わしたかもしれない。「世界」に目覚めはじめた少年に与えるトラウマとしては、十分すぎる体験だと思う。

それから16年の月日が流れ、ドラフトの日を迎える。叔父さんが監督を務める巨人に入団できると信じていたであろう菅野青年は、土壇場でその思いを裏切られた。「ドラフトとはそういう制度なのだから仕方ない」という声があり、「人権蹂躙だ」という声がある。その背景にあるのは、「叔父さんのチームへいけない菅野君は可哀想なのか/そうではないのか」という議論である。どちらの立場に立つにせよ、マスコミはそういうトーンで報道している。

しかし、ツイッターやさまざまなブログで多くの野球ファンが提起しているのは“素朴な疑問”である。それは、「巨人に入ったって、原がずっと監督でいる保証はないだろ。来年でクビになる可能性だって大いにあるんじゃないの」というものだ。深く考えなくたって、当たり前のことである。そして、そんなことは野球の世界に身を置いている菅野青年だって百も承知のはずだ。そうでなかったらおかしい。

日本ハムに行きたくない、と考えるのは個人の自由であり、権利である。問題はそこではない。何だか気持ち悪いのは、「叔父さんのチームに行きたいのに行けない」という、はっきり言ってしまえばバカな理由付けが、菅野智之という前途有望な野球選手にレッテルとして貼られてしまっているということだ。

本当に巨人志望なのであれば、はっきりと自分の言葉で言えばいい。「僕は叔父さんを見て巨人が好きになりました。だから、巨人というチームで野球がしたいんです」と。それは「叔父さんが監督だから巨人へ行きたい」とは、似ているようで全然違う。叔父さん>巨人なのか、巨人>叔父さんなのか。そこには決定的な違いがあるはずだ。

私は、個人的には「プロ入り時に球団を選り好みする選手」は好きではない。江川卓も桑田真澄も元木大介も、内海哲也も長野久義も好きになれないし、澤村拓一にも似たような感情を抱いている。それは巨人に限った話ではなくて、小池秀郎や新垣渚のあまり幸福には見えない野球人生にも、「選り好み」の因果を感じてしまう。

だから、仮に菅野が日ハム入りを拒否したとしたら、彼は私の「好きになれない選手リスト」に追加されることだろう。しかし、こんな一介の野球ファンの好き嫌いなど、どうだっていい話である。菅野は、とりあえず「自分の言葉で」本当の意思を表明すべきだと思う。

(オースギ)


2011年09月20日

千葉ロッテファンだから。

10数年マリーンズを見ているが、間違いなく今が最悪の状態である。このポスターをボランティア制作してから半年、このような状態でシーズンを終えようとしているなんて、正直予想もしていなかった。

「18連敗」はどうなんだ?と思われる方もいるかも知れないが、あのときに何かに取り憑かれているような謎の負け方だった。幸か不幸か、今の弱さは「構造的」で「必然的」である。

ストレートに言うのもはばかられるが、根元、塀内、高濱、渡辺正人で占められる内野陣と下位打線で勝てるわけがない。打撃のみならず、はっきり言って守備も一軍レベルではない。ここ数日の試合も観ているが、内野の見えないエラーでの失点も多い(西岡と今江の高水準の守備と比べてしまうのは許されたい)。

何度も書くのだが、ワタシはCS賛成派である。理由は過去の記事をさかのぼってほしい。簡単に言えば、今この段階でも、東京湾岸の2チーム以外の10チームがポストシーズンへの可能性を持っているという楽しさ。

ただいくつかの弊害があり、そのひとつは、3位から優勝したチームが、その肥大した時価総額に浮かれて、正しい補強を見誤るという事態。昨年はバブルだったのだ 。本当はもっと地道な補強が急務だったのだ。

「今岡シンドローム」という言葉がある。いや、いまここでワタシが考えたのだが(笑)、次期打撃コーチとは無関係。「今」江と西「岡」の台頭によって、優秀な内野陣の輩出があれぐらい簡単でスムーズなことだとタカをくくっていなかったか、編成陣は。その結果が現在の病的な状態なのではないか。

とにかく一度リセットである。フロントやチーム人事のことはよく分からないので憶測でものは語らない。ただ高橋慶彦には残ってほしかった。

                     ●

「千葉ロッテファンだから」

原曲:南海ファンやもん(歌:アンタッチャブル)
東野博昭、野本弦助作詞/野本弦助作曲/土井 淳編曲

だって俺たち だって俺たち 千葉ロッテファンだから

去年の話が 酒のあてになる頃
そん時だけに 目の輝きが戻る
あん時ゃよかったね あん時ゃ強かったねと
言いたいばかりに 今日も幕張本郷の飲み屋へ

沈みかける夕陽に向かって 俺ひとり
ニシオカも サブローも テギュンもいない
だって俺たち だって俺たち 千葉ロッテファンだから

酒とグチと 千葉ロッテマリーンズ
一人で語る 05年のことを
散歩がてらに 浦和をたずねれば
オーこれがマリーンズ なんとも言えぬイー感じ

いつかきっとよくなるさ そのうちみてろとつぶやいて
夢をかたるほどに わびしい気持ちになってくる
だって俺たち だって俺たち 千葉ロッテファンだから

酒を飲めば底なしで どうせダメだとくだまいて
やっぱり足を運ぶ モノクロのユニフォーム好きだから
だって俺たち だって俺たち 千葉ロッテファンだから

(スージー鈴木)

2011年09月11日

10年前のアトランタ

2001年9月9日。私はシアトルにいた。メジャー1年目のイチローを見た。確か、その試合でホームランを打った。そこまでは「仕事」だった。
2001年9月10日。そこでおとなしく帰国すればよさそうなものだが、私はその日から「夏休み」をとって、米国東部へ向かったのだった。ユナイテッド便、デンバー経由でアトランタへ。なぜアトランタ? 理由は簡単だ。私は1991年以来、アトランタ・ブレーブスのファンだからである。せっかく北米大陸へ来たのだから、ついでにブレーブスの試合を見ておきたい。なぜかフライトが遅れ、デンバー空港で3時間くらい待たされて、アトランタには夜の深い時間に着いた。とはいえ、特に不安はなかった。既にアトランタには3回くらい訪れていたからだ(もちろんブレーブス目当て)。勝手知ったるホテルにチェックインして、あっという間に眠った。

2001年9月11日。アメリカ滞在時の朝は早い。単に時差ボケだから。確か7時半頃に起き、シャワーを浴びて、特にすることもないので、いつものようにダウンタウンのCNNセンターまで散歩して、そこのフードコートで朝飯を食うつもりだった。今振り返ってみれば、米国南部のキツい日差しを浴びながらのんびり散歩している途中に「あれ」は起こっていたのだ。CNNセンターに着き、中へ入ろうとすると入口に鍵がかかっている。デカい図体の警備員がやってきて「NO!」と叫ぶ。おかしいな、いつもこの時間なら空いてるはずなのに。今日は休業なのか。釈然としないが、仕方ないのでホテルに戻ることにする。近くのモニターを3~4人くらいが見上げている光景が目の端に入ったが気に留めず、再びのんびり散歩してホテルに戻った。部屋に入ると、電話の赤いランプが点滅している。日本からかけてきた、複数のメッセージだった。それを聞き、慌ててテレビを点けた。どのチャンネルも──ESPNでさえも、ツインタワーの映像だった。茫然自失。

恥ずかしい話だけれど、当時の私は日本と通話できる携帯も持っておらず、PCも持参していなかった。当然ながら、スマホもなければツイッターもなかった。まずしたことは、テレホンカードを買うことだ。部屋の電話でも通話はできるけれど、とんでもない料金を取られる。情報収集、帰国便の確保、そして何よりも、心細さの解消。私はホテルのロビー片隅にある公衆電話に、カード片手に「籠城」した。生涯で、あれほど電話をかけまくった時期はないかもしれない。今でも「ラプソディ・イン・ブルー」の旋律が流れてくると嫌な気分になる。フライトの状況を尋ねるためにかけ続けていた、ユナイテッドの着メロだったからだ。何度かけても延々とそのメロディが流れるだけで、一向にオペレーターが出てくれない。そのときの絶望的な気持ちを思い出すからだ。

3・11の後、日本にいる外国人が続々と出国するという報が流れた。私には、その気持ちがよく分かる。それは、9・11の体験があるからだ。そんなもの、一刻も早く母国に帰りたくなるに決まっている。まして9・11直後は、米国の空港はすべて「封鎖」されたのだ。空港封鎖。その一事が、異国人にどれほどの恐怖感を与えるものか考えてもらいたい。

野球を見に来たはずだったのに、その日から野球は行われなくなった。それでも、とりあえずブレーブスの本拠地ターナー・フィールドへ行ってみる。どうやら、スタジアム観戦ツアーはやっているらしいので申し込んだ。客は、私1人だ。案内役は黒人の気のいいオバチャンで、こちらの拙い英語レベルに合わせてくれて、「こんなときに客が来るなんて思わなかったわよ」的なことを言っている。たっぷりと、球場の隅々まで見た。無人のロッカールームを徘徊した。無人の放送席も記者席も見た。ベンチ裏には、ゴルフのパターコースがあった。「マダックスとグラビンが社長に掛け合って作らせたのよ。ストレス解消のためにね」とオバチャンが説明してくれた。笑った。自分のストレスも和らいだような気がした。

数日後、空港封鎖は解除され、どうにか確保した帰国便チケットで成田に辿り着いた。すぐに新聞を買った。日本では「米国同時多発テロ」と称されていることを初めて知った。そして、スワローズが順調にVへ向けて前進していることと、崇拝していた映画監督の死去を知ったのだった。

(オースギ)

2011年05月17日

ドーム球場は、ゲンパツに似ている

・そもそも誰がその必要性を求めたかよくわからないのに、いつの間にか日本各地に林立している。

・導入の旗振り役となったのは、讀賣(巨人)である。

・アメリカに影響されて導入された施設である。しかし、そのアメリカでは新規建設が行われなくなって久しい。

・身体への悪影響(固い人工芝)が当初から懸念されてきた。

・経済効率(雨天中止がない)優先である。

・地元に大きな経済効果をもたらす(イベントやコンサートを誘致すれば野球以外でも稼げる!)と喧伝された。

・しかし実際のところ、出来てしまうと維持費等の高コストに悩まされる。

・かといって、「やっぱり取り壊して野外球場に戻しましょう」と簡単には言い出せない。そのためには更なるコストがかかる。

・天井に打球が当たるなど、「設計時には想定していなかったこと」がたびたび起こる。

・ホームランを量産する空調(?)など、疑惑を呼ぶ事象があるにもかかわらず、内部情報は開示されない。

・おそらく今後、国内で新規建設されることはないと思われる。というか、必要ない。

(オースギ)

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